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家でただ一人勉強するという自宅浪人のスタイルには、確かに賑やかさはありません。
寂しくはないのか、仲間がいない中でやる気は保てるのだろうかと、心配になる人もいるかもしれません。
しかし受験勉強に、助け合う仲間は必要ありません。そこにあるのはただ、自分との闘いだけなのです。
一人で大丈夫
たとえ友人と机を並べて勉強したとて、頭の中身を共有できるわけでもなし。
試験を受けるのは自分です。点数を取らなければいけないのも自分です。一人で勉強するのは自然です。
逆に、一人で勉強した方が、なれ合いも生じないし、ペースも乱れず、周りを気にせず完全に自分の世界に入れるので効率が上がります。
たとえば、小説家を想像してみてください。たいがいの小説家は、仲間とともに作品を書いたりしません。一人で、部屋にこもって書きます。その方が集中できるからです。
自宅浪人も同じようなものだと考えてください。「良い作品」=「良い勉強内容」を生むためには、一人の静かな環境が必要です。
なにも、一生一人で自宅で勉強を続けるというわけではないのです。作品を書き上げた小説家が祝杯をあげるように、無事合格したあかつきには、いくらだって外に出て、皆と語り尽くすことができるのですから……。
自分の人生を背負う孤独
また、自宅浪人生に孤独があるとしたら、それは自宅浪人生に特有のものではなく、浪人生全員が持つものです。
それは、「誰も自分の人生を肩代わりはしてくれないのだ」という自覚がもたらすものです。
大学合格という切符をつかまなければ、自分は先へ進めない。けれどその切符をつかむための努力は、他の誰でもなく、自分がしなければいけない。
本番で点数が取れなければ、バッサリと不合格になってしまう。
この厳しさに孤独があるのです。
自宅で勉強しようが、大勢の受験生がいる場所で勉強しようが、待ち受ける現実が消えるわけではありません。
浪人生は、皆、孤独です。
そこに立ち向かっていくことで、強くなるのですよね。
メールや手紙で友人・家族と交流
勉強は一人でできるけれど、たまには誰かと交流が持ちたいというのであれば、浪人している友人とメールや手紙でやりとりをするのも良いでしょう。
私も自宅浪人時代、遠くの予備校に通っていた友人と週に1~2回の手紙のやりとりをしていました。
毎日郵便受けを見に行くのが楽しみで、手紙が届いていたときはとても嬉しかったです。
今思うと、このささやかな文通が、浪人生活に張りをもたらしていてくれたなと思います。つきあってくれた友人には感謝しています。
やりとりしたいけれど浪人している友人がいないという場合は、昼間家にいない(仕事に出ている)家族にメールを出すのはどうですか?
家族は、あなたの勉強内容を完全には知らないわけです。ちゃんと勉強は進んでいるのかと心配もしているかもしれません。ですから、「今日はこんな勉強をしている」なんてメールを出せば、喜んでもらえるのではないでしょうか。
その送信したメールたちは自分の浪人時代の記録にもなりますから、あとあと見返すのも楽しいと思います。
次項、「自宅浪人とアルバイトは両立させられる?」です。